
[評価点]
シナリオ:A+
キャラ:A
ビジュアル:A
世界観:A
演出:A
音楽:A
オススメ度:A
総合点 83点
以下個人的に良かった部分悪かった部分等を抜粋したネタバレありの感想となります。
[感想]
⚫︎フィリアの成長に関して
やはり本作を語るにおいて一番重要なポイントはここでしょう……これでもかと言うレベルで丁寧に描写されていました。
終のステラという物語は完結にまとめてしまえば「Ae型アンドロイドであるフィリアが主人公ジュードと共に旅をしながら情操教育を施されて自我を確立していくまでの話」となるわけですが……
声優の演技が序盤から最終盤にかけてどんどん推移していく部分や、死というものに対する捉え方、博愛主義であるフィリアが悪意に触れていく事により人間らしいエゴを獲得していく過程などをたっぷり数時間分かけて書き上げられています。
その中でも特に作中でも重要視されていたと感じたのは、やはり「銃」と「命」の存在ですかね。
まず銃に関してですが、
銃の所持を拒否→おもちゃの銃を所持→本物の銃を所持→シンギュラリティマシン(非人類)への発砲→人類への発砲
この様に少しずつ、終のステラという世界における、もっと言えば運び屋という存在における必須アイテムである銃に対するフィリアの捉え方の変化を、より人らしく成長していく様子と対比して描写されていました。
ただ、ここで個人的に残念なポイントがありして
「シンギュラリティマシン(非人類)への発砲→人類への発砲」
この二つの間に、サイボーグ(公爵)への発砲を入れるべきだったと個人的には思っています。
でも実際には、意味の持たない(はずだった、おもちゃの)銃口を向けたのはジュードであった訳で……
生ある者の命をフィリア自身で奪うという、ターニングポイントはエピローグでの半分回想という形では無く明確に描写するべきであったと考えてしまいました。
続いては命に関してですね。
こちらは銃の時ほどステップアップ方式を取っていた訳ではありませんが、一つ注目すべきだなと感じた展開がありました。
基本的にフィリアは、公爵が死亡以前に関しては不殺が信条でして一部例外である魚や加工肉等以外は全て等しく奪ってはいけない存在と認識している様でしたが同じAe型やシンギュラリティマシンに関しては命を奪っても良い側の分類に指定していた様に思えました。
警備ロボットを破壊した時などもですが確信に至ったのはガブリエル死亡時でした。
アレだけ仲良くしていたのに、あまりショックをうけていない様に自分は受け取ったんですよね。
実際この時点ではフィリアの中でAe型アンドロイドは今の自分と同じ感情を持っていないただ機械として深層心理で認識していたのだと思います。
この認識が変わったのはデリラ死亡時だと私は考えています。
デリラもガブリエルと同じくAe型のアンドロイドですが、両者の違いとしてデリラは完全に感情を獲得している、少なくともクリムゾンアイに狙われるレベルではあるといったものが挙げられます。
自分よりも成長しているデリラとのやり取り、そして彼女の命が尽きるのを見届けた事で同じAe型アンドロイドも人やその他の生命と同じ括りであると認識を改め大きく成長したのだと感じました。
⚫︎環境問題に関して
本作は田中ロミオ×Keyという事で同メーカー作品であるrewriteバリに環境問題についてを一つのメインテーマとして扱っています。
科学技術が発達しすぎて、シンギュラリティを起こし人類の崩壊した世界という部分ですが、まあどう考えてもリライトへのアンサー的なアレでしょう。
そもそもタイトルが終のステラ(星)ですからね……最後のプロローグ的にもまだ完全には終わりきっていないなりにゆっくりとした衰退が示唆されていますし、最終的に地球上の人類はフィリアたちAe型アンドロイドが支配するにでしょう。
で、ですよ。
自分のブログ、一つ前の記事を読んだ人がいるのかは不明ですが、リライトの環境問題テーマに関して説教臭すぎると酷評しているんですよね。
じゃあ本作、終のステラも同じ感想を抱いたのかと問われれば、答えは否。
全然全く不快感ゼロだったんですよ、これはひとえに崩壊した世界観と環境問題というテーマが上手く合致したのも勿論ですが、作中のキャラ達が人類が生きている事に対してネガティブな反応や発言をしなかったのが大きいと考えました。
公爵が目指しているのは人類の復興、フィリアは博愛主義者、ジュードも生への執着心バリバリで運び屋として人類の延命に協力するものです。
確かに設定ストーリー上では、食料を奪い合って崩壊した街や、近親交配で最終的には滅びるであろう村社会、私刑、水不足等々……
過去の人類が起こした事による二次災害的な出来事も多く描かれていましたが、やはりメインキャラ達がそれを見て人類に対して否定的な意見を述べないのは大きいです。
実際に、科学技術の発展や資源の無駄遣いに対するアンチテーゼ的な描写であってもそれだけスッと頭で受け入れる事が出来ました。
この辺りは田中ロミオ氏単独ライターである事のメリットであったのかなと思います。
⚫︎赤い目に関して
割と重要な要素でありつつも、作中描写のみだとボカされている部分が多いのがこの「赤い目」という設定です。
一旦簡潔にまとめてみますと……
①
Ae型アンドロイドが人間に対して負の感情(怒り?)を持つor攻撃の意識を持つと赤い目が発現する。
②
赤い目が発現して、尚且つ公爵との接触可能性があった場合にクリムゾンアイの攻撃対象となる。
③
赤い目を発言したAe型アンドロイドはシンギュラリティマシンから旧人類と同様の存在と認知される。(感情を完全に会得したのと同義)
こんなところでしょうか。
①に関しては負の感情(怒り)を持つことそのものより、Ae型アンドロイドの特性として負の感情(怒り)を持った状況でしか、ロボット三原則のルールに縛られている壁を破れないとも捉えられますね。
そしてこれらを総合すると
Ae型アンドロイドが旧人類と同様の存在たり得るには、怒りの感情を知り人間を害する意思を持ち赤い目が発言する事が条件……となる訳です。
さらに細かく考えると憶測混じりにはなりますが……
怒りの感情を知る→Ae型アンドロイドがもっとも育ちにくい情緒が怒りであるため、ある程度育ったAe型が最後に覚えるのが必然と怒りとなるので正確には喜怒哀楽全ての感情を知るのが条件だと思われる。
(実際フィリアなどは喜怒哀楽の喜哀楽は比較的早く会得していた。)
人間を害する意思を持つ→怒りの感情と同じく人間に危害を加える行為はロボット三原則の中で最もプロテクト、破るのが難しいルールである為、必然的に最終的な条件となるが正確にはロボット三原則のルールを全て破る事が条件であると思われる。
以上が赤い目に関しての個人的な見解となります。
少し気になるのは、実質ラスボス枠でもあるクリムゾンアイも名前通り赤い目を有していることですかね。
最初はシンギュラリティマシンもAe型と同じく感情を覚える事が出来るのかな?などと考えましたが公爵の発言から、マシンの中に入っているAIは完全合理主義で人間の思考回路とは全く違った存在と名言されいるんですよね。
エピローグでVer君がジュードの墓を撮影するというAI的には無意味な行為を行っていた事から赤い目をしたシンギュラリティマシンのみAe型と同じく人間と過ごす事で情緒が育つのかな?程度の憶測しか出来ませんね。
これについては少し情報不足すぎます……
⚫︎デリラに関して
フィリア成長の重要なポジションであったデリラですが、本作をプレイした人ならば誰もが気になるであろう点が一つあります。
言うまでもなく彼女の父親の存在です。
公爵の言葉が正しいのであれば、ただのクズ。
一方でデリラの言葉が正しいのならAe型アンドロイドを育てきったジュードに勝るとも劣らない父親となります。
果たしてどちらの言い分が正しいのか考えよう。とはならなかったですね……
自分はライターが意図的にこの部分の正誤をボカしたのだと考えています。
それは何故か?
そもそも根本として、この展開は最後フィリアがジュードの死を正しく認識するために必要な要素であって、どちらが真実だったのかを問う物では無いのです。
敬愛する父の側で死ぬ事が出来たのは、終のステラという世界では最上級の死に方だとフィリアに教えるためのエピソードであり、
この時の出来事があったからフィリアはジュードを看取る事ができ絶望し悲観することが無かったのだと思っています。
ですので、ここでデリラの父が本当はどちら側の人間だったのかを模索するのは無粋かなと感じてしまいます。論点と言うか重要な要素はそこではないだろ?となってしまうので……
まああくまでも個人の一意見にすぎませんが……
[感想]
綺麗なCGに凝った演出、荒廃したサイバーパンクな世界観等々……
Keyらしさはありませんが、流石に老舗ブランドだなと思わせてくれました。
丁寧に丁寧にを意識して作っているのがよく伝わってくるのでよく言えば優等生、悪く言えばありきたりとなってしまいますが個人的には凄く好きなストーリーです。
今後もこの様な作品に出会っていきたいものです。